陰謀のスプレマシー/映画あらすじ・レビュー(アーロン・エッカートとオルガ・キュリレンコ共演の「96時間」+「ザ・インターネット」風味な作品)
陰謀のスプレマシー あらすじ
ベルギーの防犯装置会社に勤務していたベン・ローガンは、多少反抗期にある娘と良い関係を築こうと、努力を重ねる日々を送っていた。しかし、ある日、勤めていた会社が忽然と消え、同僚たちも姿を消してしまう。それだけではなく、在籍していた会社自体の存在や、住民票の記録、口座など、すべてのデータが消えていた。しかし、ベンは自分の娘を守りながら真相を探るため、過去のキャリアで積んだ能力を発揮し始める。
陰謀のスプレマシー レビュー
これだけ数多くの映画がつくられているのだから、多かれ少なかれ「なんとなくあの映画っぽい」という印象を持つのは珍しくない。なおさら、一見平凡なサラリーマンに見える男が、驚くほどの能力を用いて娘を守るなんて設定は、いとも簡単にリーアム・ニーソン主演の「96時間」シリーズを彷彿させるのだ。
いずれにせよ、自分としては少しばかり似ていようがいまいが、面白く鑑賞できればいい。と、いうわけで、絶対「96時間」に似ているだろうと勘ぐって観たこの作品は、「見たことある感じだけど、面白く観れる作品」だった。
最初は、アーロン・エッカートとオルガ・キュリレンコという安心感のある役者さんに惹かれ、なんとなく楽しめるかなぐらいの軽い気持ちで鑑賞し始めたら、いきなり「あらゆるものが忽然と消え、娘と共に路頭に迷う」という設定に、ググッと引き込まれたのだ。
そこで、すぐに思い出したのは「ザ・インターネット(1995)」だ。当時の日本はまだ、やっとインターネットが普及し始めたころなので、題材の“インターネットなるもの”はまだまだ得体の知れない存在。「ネット」というと「ネット(網)」の方を想像してしまう時代だ。そのため、コンピューターのネットワークに管理される社会の恐ろしさを、より一層感じることができたのだ。
しかし、それから17年後に公開されたこの映画を観ても、やはり、あらためてコンピューター操作ひとつで、その人の人生を抹殺できるのは恐ろしいと感じた。(マイナンバー制度は大丈夫なのか)
しかも、この作品の場合は、いちいち面倒な反抗期の娘がずっと一緒なのだ。会社が忽然と消え、呆然としている父親に、「会社が無くなったって、どういうことよ!」と、さらに父親を追い詰める。
したがって、「おまえなあ、お父さんが一番ショックを受けているんだから、少し考えさせてやれよ!」というイラつきが終始襲ってくる。「何で、私と一緒に暮らしたのよ!アメリカに帰りたい!」とか、「ウソばっかりじゃない!」とか、非常時なのに、とにかく逐一うるさい。しかし、イラつきがピークに達する都度、可愛げのあることを言ったり、子供らしい表情をしたり、とっさに賢い行動で父親を助ける。くそう、なかなかイイ子じゃないかっ。
と、思った途端、肝心なところで父親の手を煩わせるため、やはり、この作品において娘はイライラ動員だった。(女優さんに罪はない)
と、いう具合に、主人公がすべてを失い娘と共に命まで狙われるドキドキ感と、そのあいだじゅう父と娘の親子関係にハラハラというか、イライラする映画である。そして、この映画にも、やはりお約束の設定があるのだ。
それは、実は父親がすこぶる強い ということ。
あまりにも、ありがちなので、もはや映画においてはデフォルト(既定)の設定なんじゃないか思うほどだ。とはいえ、個人的にはその設定が大好物なので大歓迎。それに、最初は八方ふさがりだが、あとからジワジワ父親が能力を発揮しだすのも、いい感じだった。「ゴメンゴメン、ちょっと腕がなまっていました」というよりも、彼が本当に「良き父」を目指していたことがうかがえる。
なお、今回、オルガ・キュリレンコはセクシードレスを着用せず、政府の職員らしいファッションに身を包んだままだった。しかし、中身が相変わらず過激に可愛いいので、一本髪にトレンチコート、そしてタイトスカートという地味ない出立ちも、かなり魅力的だったと思う。役柄的にはあまり美味しくないけれど。
そして、なんといってもアーロン・エッカートは、すご腕とはいえ、スーパーマンではない等身大の強い父親を演じていたのが、とても良かった。
お前ら親子のせいで、どんだけ人が巻き添えになるんだとか、裏切っていた奴らの趣旨がもんやりしているとか、抜かりなかったはずの敵が、最後は不注意過ぎるだろう、という突っ込みも生じるが、ベルギーという雰囲気ある舞台も楽しめるので、是非ご賞味あれ。
映画と現実の狭間でROCKするライター中山陽子(gatto)でした。
陰謀のスプレマシー(2012)
監督 フィリップ・シュテルツェル
出演者 アーロン・エッカート/オルガ・キュリレンコ/リアナ・リベラト/アレクサンダー・フェーリング