今日の1本 魔女の宅急便(1989) 岸豊のレビュー
80年代といえば、日本に限らず、世界中で生活の面におけるデジタルの役割が一層に強くなっていた。そんなIT時代の中で、牧歌的な風景や魔女というモチーフ、懐古主義的な美意識に溢れた本作は、人々が失いつつあったノスタルジーをかきたて、興行的にも大成功を収めた。
本作が公開された89年は、日本におけるいわゆる「バブル景気」の真っ只中で、日本では不動産業界が圧倒的好景気に包まれながら、東京はもちろん、全国の主要都市で都市化を推進した。
そんな年に公開された計67317枚のセル画が使用された本作のアニメーションは、ヨーロッパの美しい街並みを描いており、CG全盛の今でも素朴で味わい深い。
1950年代の平和なヨーロッパを舞台とする本作は、宮崎のヨーロッパへの強い憧れを象徴する作品でもある。本作の舞台は、大戦が起こらなかった1950年代の地中海やバルト海の美しい景観を織り交ぜたものとなっている。これに関して、本作には物語における「必要悪」が一切登場しない。第2次大戦の開戦直後から少年時代を過ごした宮崎にとっては、自分が愛するヨーロッパの美しい景観を破壊することになる戦争が許せなかったのだろう。
そして、「空を飛ぶこと」に強い憧れを抱く心優しい少年、トンボは平和な世界の中で、自分がやりたいことに夢中になっており、宮崎駿自身の少年の姿だ。この物語は、宮崎が理想とする平和な世界での恋物語なのだ。これは、彼の作品では珍しく、終盤で宮崎自身がカメオ出演していることからも読み取れる。
なぜ、キキは魔法の力を失ったのだろう?これには物語における恋愛感情が関連している。キキは街に来たばかりの頃から、田舎臭い自分と都会の少女とにギャップを感じ始め、トンボと親しくなるにつれ、「魔女修行」という時代遅れにも思えるイニシエーション(大人になるための儀式)に身を投じる自分自身の姿に激しく葛藤する。そんな折、ジジがリリーという猫と仲良くなり始めたのと時を同じくして、トンボが他の女の子と話す姿を見るだけで嫉妬心に駆られるキキの姿が描かれ、トンボへの愛情によって情緒が乱れたキキは、魔法を失ったと勘違いする。
しかし、飛行船の事故が起こったその時。キキはトンボへの恋愛感情を受け入れ、彼を救いたいと願う心で自分自身を乗り越える。クライマックスで音声が消え、一瞬の緊張を究極まで高める宮崎駿の演出の巧さには思わず「ブラボー!」と叫びたくなる。
物語の最初では、「高い高いして、小さい時みたいに」というセリフが象徴するように、キキは幼い少女のままだった。しかし、イニシエーションを通じて、自分の力を信じて一人で飛ぶことができるようになったキキの姿は、一人前の魔女に成長したことを証明している。
もし、自分が住んでいる街に修行中の魔女が来たら?そんな妄想をせずにはいられない、一度見たら忘れられない、何度見ても色あせない物語だ。
魔女の宅急便
監督:宮崎駿
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魔女は来ません。
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