【イット・フォローズ】
ジワジワ追われる恐怖感と少し哲学的なホラー
イット・フォローズ 映画あらすじ
ジェイは恋人と一夜を過ごし幸福感に酔いしれていた。だが、突然背後から襲われ意識を失ってしまう。再び目を覚ましたときには下着のまま椅子にしばりつけられ、男が背後で歩きまわっている。状況が理解できず、ただ泣き叫ぶジェイ。すると男は、落ち着かない様子で意味不明なことを語りはじめた……。「俺はあるものに感染していたが、“それ”を君にうつした。“それ”は必ずついてくる」 ふと気がつくと、何かが彼らにゆっくりと近づいてきていた。
イット・フォローズ 映画レビュー
目新しい印象のホラー映画だった。“それ”の特性と、“それ”についてのルールが一癖あるからだ。また、深い部分にもんやりと哲学的なものが横たわっている。
この映画で大人たちの存在は背景のようなもの。主役は成り行き任せの若者たちだ。彼らは“それ”の存在を知り、“それ”につきまとわれる。だが、つきまとわれるのは感染した人間だけで、見えるのも感染した経験がある者だけ。
感染したら最後、どんなに逃げても“それ”がついてくる。ものすごーく“ゆっくり”ついてくるので、絶対に追いつかれないから大丈夫と気を抜いていると、必ず追いつかれるという、微妙な速さが心憎い。しかも、“それ”から逃れるためには誰かにうつすしかないないのだ。そして、“それ”をうつす方法は性行為のみ。なんとか逃れる方法がエッチとは、いかにもティーンズ系ホラーらしいなと思いきや、雰囲気はまったく違う。妙に哲学的な部分があるのだ。
感染してセックスすると、相手にうつってしまう。
そうなると、愛する人とセックスできなくなる。
ならば、(ダメだけど)一夜限りの相手にすればいいが、その人物が死ぬとまた自分に戻ってくるので、相手の命を真剣に重んじていないのに、自分のために、相手の命を重んじる。
誰かにうつしてしばらく“それ”に追われなくなっても、再びついてくるようになると、セックスした相手が死んだと静かに察する。
なんちゅう法則だ。
そして、何といっても哲学的な部分は「若い世代の未完成な心の危うさ」と、「“それ”の存在が意味するもの」。ただ、物語すべてをそれで解釈するには無理があるので、この映画の奥深くにある、生と死、親と子、愛と性といったテーマを余韻程度に感じつつ、あくまでもホラー映画として楽しむのがいいかもしれない。
なお、“それ”という存在は、ゾンビのようでゾンビじゃない。また、概念のみの存在とも思えたが、いきなり髪を引っ張ったり、はね飛ばしたり、ものを投げたりしてくるので物理的に存在する。その描写には少しばかりズッコけた。しかも、車で逃げたら物理的な距離ができて時間を稼げる。つまり単体? ただ、姿かたちを自由自在に変えるので非常にややこしい。「何か、こちらに向かって歩いてくるな」というものは、すべて“それ”に見えてしまう。
ちなみに、“それ”は肉親の姿にもなるが、物語のなかで(そう見えることもあるよ、という説明以外に)明確な説明がないので、観客がいかようにも解釈できる。鑑賞後に会話がはずむのもこの映画の特徴かもしれない。とりあえず、ヤラのコンパクト型タブレットの存在、家族の写真、ドストエフスキーの引用、若者たちの意味深なセリフ、ラストシーンの2人には注目しよう。
もちろんジワジワと怖さも味わえるので、先述したように深読みせず、単純にホラーを楽しむのもオススメ。タランティーノ監督も惹き付けられたという、つきまとわれ系ホラーを、ぜひご賞味あれ。
ライター中山陽子でした。
イット・フォローズ(2014)
監督 デヴィッド・ロバート・ミッチェル
出演者 マイカ・モンロー/キーア・ギルクリスト/ダニエル・ゾヴァット/ジェイク・ウィアリー
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