【セルフレス/覚醒した記憶】
「白雪姫と鏡の女王」のターセム・シン監督が「デッドプール」のライアン・レイノルズを迎えた新境地の映画
セルフレス/覚醒した記憶 映画あらすじ
ダミアン・へイルは、余命半年と宣告された大富豪の不動産王。政界にまで強い影響力をもつダミアンだが、病気だけはどうすることも出来ない。
また、家庭を顧みず疎遠になった、ひとり娘のクレアに歩み寄ろうとしても一向にうまくいかず、失意に明け暮れていた。
そんな彼に、「遺伝子操作で培養した新しい肉体に、頭脳を転送する」という、信じがたい話がもちかっけられる。
しかし、ダミアンが法外な金額でその新しい体を手に入れたのち、その肉体は培養されたものではなく、ひとりの男の人生があったことを知る。
セルフレス/覚醒した記憶 映画レビュー
ターセム・シン監督は、いくつもの作品でデザイナーの故・石岡瑛子氏とタッグを組み、独創的で美しい映像を生み出してきた。
しかし、彼女の死を受け「(映画の)選ぶ題材が変わった」と伝えている。
そして、公開されたのが、この「セルフレス/覚醒した記憶(2015)」だ。
事実、これまでの限りなく独特で、少し奇妙な美しさをもつ世界観とは一線を画した、いい意味でわかりやすく、リズムとスピード感にあふれた後味のいい映画だった。
ただ、脳の転送という発想は面白いけれど、よくある展開という印象も強い。
とはいえ、知性とカリスマ性をもつ大富豪の脳と、特殊部隊の軍人の体が組み合わさった人物って最高ではないかーい!と単純な発想で鑑賞したので、個人的には別に全く問題はないのだ。
まあ欲をいえば、もう少しばかり、これまでのターセム・シン監督らしい映像表現があると、より良かった気がする。
だが、映画のなかにはとても興味深いシーンがあった。
それは意外にも、ダミアンの脳が転送された肉体を演じるライアン・レイノルズと、その肉体の持ち主だったマークの娘が豪邸のプールで遊ぶところ。
このシーンが実は、役柄上の親子というわざとらしさが生まれないよう、年の離れた役者同士が遊びながらコミュニケーションをとっていたところをテスト撮影し、それを映画のなかのワンシーンとして挿入したのではないかと感じてしまった(あくまでも筆者の想像)。
それほど幼い子役の女の子は素で楽しんでおり、一生懸命「いろんなお話」をライアン・レイノルズに聞かせていたのだ。
ちなみに、その女の子の母親を演じたナタリー・マルティネスは、ジェイソン・ステイサムと共演した「デス・レース(2008)」では、超セクシーでワイルドなギャルを演じていた女優さん。
重い病気を患った娘を持ち、おまけに夫を失った苦労の多い女性というのはわかるが、せっかく彼女を起用したのだから、もう少し、セクシーさをアピールしたほうが良かったのになあ。
なお、ニューヨークの超セレブなダミアン宅が尋常じゃないほど金ピカだったため、お前は豊臣秀吉かと突っ込みを入れたくなったが、そのダミアンを演じているのがガンジー…じゃなくて、ベン・キングズレーなので、なぜか理性的に見えてしまう。
普通なら金ピカ成金ジーサンにしか見えないぞ。
そのダミアンと、ヴィクター・ガーバーが演じる友人のマーティンが大人同士の会話を交わすシーンは、熟練の味わい深い役者さんたちのお陰で、落ち着いた心地よい雰囲気にあふれていた。
物語は前半、男たちの「夢」を観客に魅せる。成功して莫大な富を築き、多大な権力をもつダミアンの存在。
そして、その経験豊かな知性ある脳が、軍隊の特殊能力をもった若く魅力的なボディに転送されるということ。
主人公も観客も、実現された「夢」の陰に倫理を問う真実があることを知るまで、気ままに豪勢に暮らし女遊びを繰り返す生活に、少なからずウットリするかもしれない。
それに、いまの自分の経験と理性のまま若返ることができたら…と思うのは、男性だけではなく、女性も同じだ。
しかし、結局そこに生まれるのは、所々にひずみがある不自然な現実でしかない。人には人の寿命があるのだ。
自然の摂理に背き金で手に入れたものは、いずれバブルのごとく消えていく。
でも、この物語は、結局いろんな意味でハッピーエンドなのである。
ライター中山陽子(gatto)でした。
セルフレス/覚醒した記憶(2015)
監督 ターセム・シン
出演 ライアン・レイノルズ/ベン・キングズレー/ナタリー・マルティネス/マシュー・グード
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