【クーキー】
へなちょこグマがいとおしい脱力系映画
クーキー 映画あらすじ
小さな男の子オンドラは、大好きな2匹のぬいぐるみといつも一緒。黄色くて丸洗いできるバブルスと、ボロボロで汚いけど丸洗いできないピンクのティディベア、クーキーだ。ところが、オンドラのママは病弱で喘息もちのオンドラを心配して、からだに悪影響があるとクーキーだけ捨ててしまう。必ず自分のもとに帰るようにとクーキーの無事を願うオンドラの想いが届き、危機一髪のところでクーキーに命が吹き込まれ、ゴミ捨て場から命からがら逃げだす。そこから甘えん坊なティディベア、クーキーの大冒険が始まる。
クーキー 映画レビュー
『クーキー(2010)』は、日々の生活に疲れている大人にこそ観てほしい映画だ。出演している少年の愛らしさに加え、へタレなへなちょこグマが、ホニョホニョと奮起する姿に勇気をもらえるからだ。案の定ラストシーンではホロリと泣かせるが、ヨーロッパの映画らしく、少しだけビターな雰囲気もある。
マリオネット(操り人形)はチェコ人にとってオモチャではなく、文化だという。
マリオネットやパペットと、実写が合わさったこの映画には、少し変わったキャラクターが多く登場する。本当に本当かと問いただしたくなるが、クーキーはティディベアである。そして、森の住人たちは、どれも奇妙で得体が知れない。それなのに、なぜか愛着がわいてしまう。
森のなかでマリオネットづかいに操られる、手作り感にあふれた素朴な人形たちは、心地よく自然に調和していた。そして、少しぎこちない動きが観客の笑いを誘い、いとおしさを募らせるのだ。
クーキーはピンクのクマといわれることが嫌らしく、「違うよ!赤だよ!」とすぐに否定する。すっとぼけた顔で、耳があっちゃこっちゃに倒れたまま、ヘナヘナのいとおしい声で意外にズケズケものをいう。村長のヘルゴットに右左がわからないことや、字を読めないことを責められると、「あなたも目が見えないじゃないか」といい返す。また、トンボのくだりにおいても
村長「生きものが2匹でいるときに声をかけてはならない」
クーキー「ああ、そうか、交尾をしているんだね」
右も左も区別がつかないのに、
交尾はわかるんだな、クーキー……。
まあ、それはいいとして、
病弱な少年オンドラを演じるのは、監督・脚本・製作を担うヤン・スヴェラークの、実の息子オンジェイ・スヴェラークだ。メイキング映像で、「息子にこの役をやらせたくてオーディションを受けさせたが嫌がったので断念した。それから時間を経て、またオーディションを受けさせたら、演技もよかったのでオンドラ役を息子に決めたんだ。どうしても息子に演じて欲しかったしね、ハハハ」と話していた。
どういう角度から聞いても、最初から多大な権限をもつ人物の息子の、勝ちレースなのでは……と疑ってしまうようなエピソードだが、その疑惑(?)は、実際にオンジェイ・スヴェラーク少年の演技を見れば払拭できる。へなちょこクーキーの声も、彼が演じているのだが、これがまた、しっくり合うのだ。
そして、クーキーのことを面倒くさいと思いながらも、なんだかんだ手助けしてしまう老齢の村長ヘルゴットの声は、ヤン・スヴェラーク監督の実の父ズディニェク・スヴェラークが演じている。つまり、オンジェイ・スヴェラーク少年の祖父にあたる人物だ。彼も、チェコを代表する俳優で、脚本家・作家・舞台作家なのだという。息子であるヤン・スヴェラーク監督とは、この作品以外にも多くタッグを組んでいるが、孫との共演は、この『クーキー(2010)』が初となるようだ。
ちなみに、第69回アカデミー賞と、第54回ゴールデン・グローブ賞で外国語映画賞を受賞した『コーリャ 愛のプラハ(1996)』においても、ディニェクとヤン親子はタッグを組んでいる。チェコではものすごく有名な親子3代であることは間違いない。
途中、少年の空想なのか、現実なのか、わからない表現がある。しかし、曖昧にしている部分がかえって、この世の現実にも思えたりする。全知の人間などいない。人間はハエの脳としくみが似ている自分たちの脳でさえ、実態がわからないのだから。
映画の終盤、病弱で空想好きだったはずの少年は、想像力を失わずに現実も受け入れていた。そして、希望を失うこともなかった。少年の細く弱々しい足がしっかりと地に足をつけ、歩みをはじめたのだから、大人もボンヤリしていられない。
へなちょこマリオネットたちに癒されたのかと思いきや、知らず知らずのうちに、へタレな声でビシッと『喝』を入れられたのかもしれない。
ライター中山陽子でした。
クーキー(2010)
監督 ヤン・スヴェラーク
出演者 オンジェイ・スヴェラーク/ズディニェク・スヴェラーク/オルドジフ・カイゼル