【アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち】
恐ろしげな精神病棟で愛が生まれるサイコスリラー
アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち
映画あらすじ
精神医学に強い熱意をもつオックスフォード大の医学生エドワード・ニューゲートは、実習のため雪深い山奥にたたずむストーンハースト精神病院を訪れる。しかし、ラム院長をはじめとした病院のスタッフはみな、どこか奇妙な空気をかもしだしていた。そのなかで、ひときわ美しく、気品にあふれたイライザ・グレーブス夫人にエドワードは強く惹かれるが、イライザはエドワードにこっそりと「一刻もはやく逃げなさい」と忠告する。
アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち
映画レビュー
強烈な存在感とあやしいオーラを放って、精神病院の院長として登場したラムを演じるのは、ナイトの称号(中世の騎士階級に由来したイギリスの称号)をもつ名優ベン・キングズレー。そういえば、シャター・アイランド(2010)』でも精神科医を演じていたはず。父親が医師であったため、一時は彼も医師を目指していたらしい。ちなみに、彼が初舞台で歌やギターを披露したとき、それを目にしたジョン・レノンとリンゴ・スターが「音楽の道にすすめ」とアドバイスしたのだとか。
そんな、すご過ぎるエピソードをもつベン・キングズレーや、同じくナイトの称号をもつマイケル・ケインという名優たちに囲まれて、美しいケイト・ベッキンセイルに魅了される医学生を演じたのはジム・スタージェス。どんな役柄を演じても、どことなく神秘的で透明感がある役者さんだ。そんな彼の雰囲気に、この役柄はよくあっていた。
この物語は、エドガ・アラン・ポーの小説「タール博士とフェザー教授の療法」を映画化したもの。大正から昭和にかけて活躍した日本の著名な推理小説家・江戸川乱歩(えどがわらんぽ)氏の名前の由来となった方でもある。そして、そのエドガ・アラン・ポーが書いたこの物語の舞台は、19世紀末のイギリスにおける精神病院だ。
やはり閉鎖的でゾッとするような精神病棟を描いた映画『カッコーの巣の上で(1975)』の原作が、1962年に発表されたものだったと考えると、19世紀末の精神医療現場が、どれほど恐ろしいものだったか想像できる。ただ、この映画『アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち(2014)』では、その恐ろしい部分と、現代につながる精神医療の二側面が描かれている。
それを象徴しているのが、多くの真相が明かされる映画終盤に、2人の男がチェスをしているシーン。かなり皮肉をこめたシチュエーションだ。
管理と掌握のために監禁という方法をとって人間らしさを奪い、その症状を起こす実態を探るためには方法を選ばない精神科医。または、精神病患者の意思や尊厳を守り、人間らしさを取り戻させようとする医師。後者の考え方は、より現代的なものに近い。ただ、それが、すべてにおいて正しいとは言い切れない状況もある。
何が正常で、何が異常なのか。どれが正しい行いで、どれが悪しき行いなのか。誰が真実で、誰がウソなのか。
物語は、最初から最後まで二側面を織り交ぜ、観客を惑わせつづける。ただ、2人の男女の愛をよりピュアなもの、より正しいものとして引き立たせようとしているのは明らかだ。映画冒頭での講義シーンが、やたらスノッブで下品極まりなく描かれていることにも、そんな意図を感じる。
「あなたは本当に医師なの?医師はぜったいに謝らないもの……」
イライザ・グレーブス夫人は、澄んだ目の奥に熱い想いをしのばせる医学生エドワードにいう。彼の眼にはもう、目の前の美しいひとしか映っていない。
意表をつきながらも、なんだかベタなロマンティシズムにて幕を閉じたこの映画は、少しばかり好みがわかれるかもしれない。筆者にとっては、底恐ろしいスタートからは想像しにくい、とても優しくて、そして夢のような終わり方のおかげで後味のよい映画鑑賞となった。
自分の正当性や意思に反して、人間としての尊厳を奪われるという恐怖感のなかに、ピンク色でほわほわした一見弱そうな『愛』がポワンと生まれ、強靭な力を発揮したことに強く共感し、頼もしさを感じる。
最後に愛は勝つのだ。
ライター中山陽子でした。
アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち(2014)
監督 ブラッド・アンダーソン
出演者 ケイト・ベッキンセイル/ジム・スタージェス/ベン・キングズレー/デヴィッド・シューリス
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