【ローマ法王の休日】
邦題や予告の印象とはまったく異なるシニカルな映画
ローマ法王の休日 映画あらすじ
新しいローマ法王の誕生を、世界中のカトリック教徒が固唾をのんで見守るなか、ヴァチカンでは各国108名の枢機卿(すうききょう・ローマ法王の最高顧問)による法王選出の選挙(コンクラーヴェ)が行われた。誰もが心ひそかに「どうか自分が法王に選ばれませんように」と祈るなか、大本命といわれた人物ではなく、控えめで目立たないメルヴィルが選出される。しかし、彼は世界に12億人以上いるという信徒の、精神的な指導者になる重圧には耐えられなかった。
ローマ法王の休日 映画レビュー
今作品では、鮮やかで深い緋色(ひいろ)の礼服に身を包んだ各国の枢機卿が、人間臭さ全開で大役を担うことに恐怖を感じたり、暗黙のうちに責任を押しつけたり、精神安定剤を飲んだり、バレーボールに興じたりする。聖書の内容が“うつ病”を示しているというセリフもある。なんだかカトリック教会に怒られそうな内容だが、それ以前に観客が「なにぃ?」と言いたくなるような映画だった。
鑑賞前は、ローマ法王がヴァチカンを逃げ出して、彼の正体を知らない人々と心温まる関係を築くハートフル・コメディだと思い込んでいた。オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』をもじった邦題のみならず、映画予告もそんな感じだったので、騙された人も多いはず。
しかし、この映画にハートフルさは存在しない。あるのは、皮肉っぽくて癖のあるユーモアと、リアルな人間像だ。
コンクラーヴェは既に終えたのに、法王の脱走で監禁状態になってしまた高齢の枢機卿らが、暇つぶしにゲームをしたり運動したりして発散する姿は、老人ホームのレクリエーションさながら。それに、精神的な指導者(ローマ法王)とその最高顧問(枢機卿)らが、軽く精神を病んでいるって……。監督のナンニ・モレッティ氏は、そんな癖のある作風が人気らしい。ラストシーンなんかはシュールすぎて、ハートフル・コメディだと思って鑑賞した、自分の気持ちを処理するのに困ってしまった。
ただ、多少はおっとりした笑いもあるし、年齢を重ねた俳優さんたちの演技が嫌味なく自然体だったので、独特な癖をやわらげてくれた。とくに、ミシェル・ピッコリ演じるメルヴィル枢機卿と、レナート・スカルパ演じるグレゴリー枢機卿の穏やかな表情には、終始温かみを感じた。
精神的な疾患なのか、普通の人間のリアルな戸惑いなのか、観ていて少し迷わせる描写もあるが、メルヴィル枢機卿がかつて一般人のように夢を見て、挫折して、川の流れのように人生に身を任せた経験の持ち主ならば、いたって普通の反応ともいえるかもしれない。
世界にいる多くの信徒が自分に従い、尊敬し、ときには涙をにじませ、人生まで託すことを、「うわー好き放題できちゃうな、やったー!」なんて思うような人物は、たとえ責任のなすりつけ合いだろうと、そもそもローマ教皇には選出されないはず。
しかし、信徒の気持ちに寄り添いそうな、平均的な意識の持ち主で、自然で、正直な人間がその役割についたら、そりゃあ押しつぶされそうになるのもわかる。つまり、結局この世はいろんな矛盾で成り立っているのだ。
そう考えると、タブーとも思えるようなナンニ・モレッティ監督の作品は、むしろ矛盾のない真っ直ぐな世界観なのかも……!?
ライター中山陽子でした。
ローマ法王の休日(2011)
監督 ナンニ・モレッティ
出演者 ミシェル・ピッコリ/イエルジー・スチュエル/レナート・スカルパ/ナンニ・モレッティ
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