今日の1本 WALL-E (2008) 岸豊のレビュー
本作のストーリーは、三つのテーマによって成り立っている。一つ目のテーマが、消費主義の暴走だ。オープニングで軽やかなジャズに合わせて映し出されたのは、ゴミに埋もれた地球の姿。ショッピングモールやガソリンスタンド、銀行などの商業施設には、全く同じBNL社のマークが見られる。BNL社は市場を独占していた企業で、現代の深刻な問題である「消費主義」の象徴だ。その消費主義が最終的にもたらしたのは、商品の過剰生産に伴うゴミの山だったのだ。これは今現在人類が直面している問題の延長であり、思わずドキッとさせられる。
二つ目のテーマは、合理主義の末路。BNL社が作ったリゾート施設のような世代宇宙船、アクシオムに住む人類はロボットに身の回りの世話を任せ、自分の手を煩わせないよう、合理性を追求している。その結果、彼らは自分たちの足で歩くことすらできなくなってしまった。宇宙船の名前であるアクシオムは、英語で「自明の理」を意味する言葉で、人類が自らに行動の責任を課さなくなった結果、自らの足で立つこと、つまり自立することができない種族に成り下がったことを皮肉にも象徴している。
彼らの姿は滑稽だが、実は笑えない。彼らは日常生活がデジタルに支配されている我々のメタファーでもあるからだ。現に我々は携帯電話とパソコンなしでは仕事ができないほどデジタルに依存している。近い将来にはお手伝いロボットが登場するだろう。そうなったら、我々はアクシオムで暮らす人々のようにならない、と言い切れるのか?そう考えてみると、ちょっと怖くなってくる。
三つ目のテーマはウォーリーの自己犠牲がもたらす変化。ウォーリーと、彼に感化されて指令が全てではない、と気づいたイヴの奮闘によって、怠け者だった艦長は、人類が機械に支配されているという歪んだ現状に気づく。そして艦長は、人類が犯してきた罪を償うべく、「地球に帰ること」を決める。ここでSF作品のお約束である「機械の反乱」が起き、人類は危機に立たされてしまう。機械に世話され、椅子に座りっぱなしだった人類は皆、赤ちゃんのメタファーだ。その人類は、人間のような心を持つウォーリーの命懸けの自己犠牲を目の当たりにすることで、自分たちも立ち上がる。そして彼らは力を合わせて機械による支配から解き放たれ、地球へ帰還し、自己犠牲によって擬似的な死を経たウォーリーも復活する。
本作は、環境というシリアスなテーマを扱いながらも、ピクサーらしいユーモアあふれるストーリーで観る者を魅了する。一方、日本のアニメ業界は日常系アニメを大量生産するばかりだ。社会性が物語に組み込まれたような作品はまず作られない。本作のように、社会性とエンターテイメントを両立する作品は、いつになったら生まれるのだろう?それは、作り手だけではなく、ファンにも責任がある問題だ。アニメーションはエンターテイメントに留まるべきではない。そこに現実、つまり社会性が組み込まれてこそ、名作は生まれるのだから。
ウォーリー WALL-E
出演: ジェフ・ガーリン, ベン・バート, エリッサ・ナイト, フレッド・ウィラード, マッキントーク
監督: アンドリュー・スタントン
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