【ブルックリン】
途中から主人公にまったく共感できない映画
ブルックリン 映画あらすじ
閉鎖的なアイルランドの田舎町で暮らすエイリシュは、姉の計らいで夢のニューヨーク行きを実現する。ところが、都会で暮らしはじめた彼女を待ち受けていたのは、猛烈なホームシックと、未来が見えない毎日だった。だが、やがて簿記を学び、心優しいイタリア系の青年トニーという恋人もできて、自信に満ちあふれたニューヨーカーになっていく。そんな彼女を待ち受けていたのは、あまりに突然の別れだった……。
ブルックリン 映画レビュー
意地悪おばさんが営む食料品店の田舎風でレトロな雰囲気や、50年代ファッションのかわいらしさ、寮母と若い女性たちの時代を思わせる関係に、古き時代のデパート。アイルランドの素朴で和やかなティータイムと、ひとりの女性の静かながら力強い歩み。そのどれをとっても、この作品に深みを与えていた。
しかし、途中から主人公の心もちに疑問が生じ、気分を台無しにされたままラストへと向かった。
意地悪おばさんが、自分より弱い立場の人間をいじめたり差別したり、粗さがしをして人生を楽しむみじめな姿よりも、独りよがりな行動で実直な人間たちを傷つけておきながら、自分が一番傷ついたような顔をしている主人公エイリシュの方が、余計にたちが悪い。
冴えない田舎娘から一転し、もともと高かった知性をさらに磨き自信をつけて、社交術も身につけ、すっかり都会人のように洗練された彼女が、「出発前のアイルランドがこうだったら、ニューヨークには行かなかったのに」的なニュアンスをジムにもらす場面があった。心優しいイタリア系の夫トニーからの手紙に返事も書かず……。
この映画は、ひとりの女性のリアルな成長を、美しく自然な景色を背景に、繊細な色調で描いている。それゆえに、あたかも心に深く染み入る物語だと錯覚してしまうが、実際には野太い女の生きざまを描いている。
エイリシュの「揺れ動く気持ち」には、野に咲く花が風に吹かれ、時折からだを揺らすような繊細さではなく、風に吹かれ傾いたぶん勢いよく反発する、まるでゴム鉄砲のような強(したた)かさがある。
こんな感じだ。「あー、昔は誰にも相手にされなかったけど、私ってばすっかり綺麗になって洗練されて、頭もいいし仕事もできるし、皆に求められ、裕福な家の温厚かつ知的な男も自分に惚れている。なんかニューヨークでは寂しかったから、優しくて性格のいい水道工の男と結婚することになっちゃったけど、いまだったら別にアイルランドでも、十分幸せになれそう。母親の世話をする気はさらさらないけど、なんだかアイルランドも居心地よくなっちゃったわ~。あ、水道工のトニーも、すごくいい人だけどね。キープ君としては完璧。」
ひと皮むけた彼女が、都会を知らない田舎娘に助言する言葉は、どれをとっても自分を感動させてくれるはずだった。事実、主人公に嫌悪感をもつまでは激しく彼女に共感し、何度も涙したのだから。しかし、もはや「なんだこの女は」という感情しかわかず、セリフだけが宙に浮いていた。
人生は、無垢で綺麗なだけでは生きられず、甘くもないし、夢でもない。それに、真っ直ぐでもない。愛を誓ったひと以外に惹かれてしまうことだってある。
「肉まんが大好きだけど、たまにはピザまんも食べたい。この仕事もいいけど、もっといい給料でいいポストを与えられるなら、そっちがいい。すごく住みいい家だけど、もっといい家があるならそっちがいい。
でも、肉まんはもう一口食っちゃったし、仕事は雇用契約交わしたし、賃貸契約も交わした。それを突っ込まれると腹立つわ~。あんた何様?じゃあ、いつもの肉まんでいいわ、仕事も今のままでいいわ、家もこのままでいいわ。だって妥協しても十分旨いし、仕事も楽だし、家も住み心地いいから。」
しつこいが、主人公エイリシュを揶揄してみるとこんな感じだ。
でも、実は揺れ動く女心うんぬんはどうでもよい。
なんといっても、彼女が自分の意思ですべきだったのに、居心地を悪くされてやっと行動したことに腹が立つ。「あわよくば精神」にうんざりしたのだ。それに尽きる。
でも、シアーシャ・ローナンの演技は、とても素晴らしかった。
ライター中山陽子でした。
ブルックリン(2015)
監督 ジョン・クローリー
出演者 シアーシャ・ローナン/ドーナル・グリーソン/エモリー・コーエン/ジム・ブロードベント
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